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てがみ。

高校受験の頃かな、自分に向けて書いた手紙がある。
中学生で確か14歳だから、あれから8年。

もしこの先人生くじけそうになった時の自分へ
って、凄い思い入れ込めて激励書いたせいで、
内容まだなんとなく覚えてるんだけど。(笑)


もうだめだってなって、あれ読もうと思って
鍵付き日記帳の中にしまわれたその手紙を読もうとしたことがあったのだけど
日記帳の鍵をなくしてしまって開けられなかった。

はさみで無理やり壊して開けようかなとも思った。
けど、今読めない状況にあるっていうのは

今はまだその時じゃないって、これはきっと自力で乗り切れる、大丈夫
人生はもっとずっと長いんだから、
まだ読んじゃだめ、って。


14の私が、日記の鍵越しにそう言って励ましてくれてるような気がした。

その手紙は結局、まだ読まずに机の中にしまってある。


あの時感じた14の私は何故かとても強くて
14の私が、泣いてる20の私の背中をポンポンと笑って叩いた。


その時感じた力とか温かみっていうのは、他の誰でもない、私自身のものであって、
だから私は自分でがんばれるのだ。

すごく不思議な感じだけど、そう思った。


強い心の状態である私を、手紙という形で冷凍保存しておいてよかった。
いい感じの冷気が机の中にしまってある。
その冷気に触れて少し引き締まると、ああ私は大丈夫って何となく思える。


自分の分身はきっと色んなところにいるんだと思う。何人でも。
「『自分への手紙』を書いた自分」っていうのはその分かりやすい形なんだろうな。

自分の気持ちは、当たり前だけど自分が一番分かってあげられるもので

だから過去の自分っていうのはある意味親友と言えるのかもしれない。
私っていう味方がいる。

そういう感覚を覚えれば、自分の分身に励ましてもらうことができる。



なんでもない絵も文章も落書きも、自分が残すもの全て
将来の自分のための手紙みたいなものかなって思ってる。

それが何年も何十年巡り巡って自分の所に戻ってきた時、
なんとも言えない、抱きしめたいような、泣きたくなるような、
きっとそんな自分を感じるのだと思う。

それが、自分がそれらを生み出した一番の意味になるんじゃないかなって思う。



過去の自分のこと、忘れてもいいけど、
思い出してあげると
なんだかくすぐったくて、でも元気を貰える。



過去の私も私と一緒に生きているし、今の私は将来の私と一緒に生きる。
いつの私もちゃんと全部私だ。

私は私と生きてる。
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