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大好きすぎて。

大好きすぎてコンプレックスになってるものの存在に気づいた。

今始めて「マザコン」「ロリコン」における「コンプレックス」の意味を実感した。



「コンプレックス」って単に「劣等感」って意味じゃない。

ある対象や物事に対して、(自覚しているのであれ、していないのであれ)
何か心に複雑な絡まりやモヤモヤがあって解決できずに抱えている部分のこと。
っていう風に私は解釈してる。

(そのモヤモヤが劣等感であることが多かったり
劣等感っていうのは分かりやすいし言い表しやすい感情だから、
心理学以外の一般ではそういう意味づけが浸透してるのかなって思う。)

けど、「マザコン」「ロリコン」みたいに
「それを大好きであること」と「コンプレックス(=複雑な心理的問題)」の関連性が
いまいちしっくり来なかった。

けど実感した。
つまりは、愛っていう絆が、そういう美しいものが、
逆に呪縛になってるってこと。

そういう意味で私はマザコンで、亡くなった上原美優さんと同じだった。


母のために頑張る、大好きな母の笑顔が見たい、
元気づけたい、母のこと支えられるのは私しかいない
だから私が頑張る。頑張らなきゃいけない。


その感情は親子の絆として正しく正常だと思ってた。
けどある意味それは呪縛だったんだなって。
これを認めてしまったら私の今までの人生かなり否定しちゃうことになるけど、
遅くなったけど、そろそろ向き合わなきゃなって思った。

私は私の人生なのだ。母とは違う。

もちろん母のことは私は支えなきゃいけないと思うけど、
「母のため母のため」っていう
自分じゃない核が自分をコントロールしてしまうのは、
それは呪縛と言えるのかもしれない。





真央ちゃんのお母さんが言ってた言葉。

「真央は私のためにスケートをしている。
 私が沈んでいるとき、励ますように
 『ママ大丈夫だよ、私がスケート頑張るから。』
 と言って滑り出す姿は、少し切なくて涙が出た」

って。

「私のためにスケートをしている」
「切ない」



もし自分が真央ちゃんのお母さんで
娘である真央ちゃんにそう言われたら、と本気で考えてみた。


愛しい大切な娘が自分の為に必死に頑張ってくれてる。
すごくすごく嬉しい、張り裂けそうなくらい嬉しい、けど

けどそれは私の呪縛なのじゃないかって。

頑張って、努力して、成果残すのも私のため。
そして、苦しむのも、辛いことも、私のため・・・・。

私が今ここでいなくなったら
あなたは何のために滑るの、
何のために生きるのって。

「あなたは、自分のために滑って」って思った。

だから「切なくなった」。



とてもとても大切で大好きで、愛していて
見返りなんていらない純粋な愛と絆っていうのは
時に呪縛を生むのだと思う。
愛という、絆という、呪縛。

その人のこと大切すぎて、自分の核が自分じゃなくなる。
意識せず自分を犠牲にしてる。
(犠牲って言い方悪いけど、
ネガティブな意味だけで言ってるんじゃない。この表現が近いだけ)


望ましい結果になることもあるだろうし、
そうじゃない結果になることもあるのだろう。

望ましい結果になれば、
「その人のため」という原動力のおかげで良い方向に行ったんだ。って思える。

けど、自分じゃない誰かの為に進んできた道で望ましくない結果になった時、
それは自分の中でどう処理すれば良いんだろうか。

そしてその人という原動力をなくした時、
自分は自分の形を保っていられるだろうか。


上原美優さんは、そこで崩れて自分を失って、負けてしまったのだと思う。


本当に愛していた母、大好きすぎた母。
そんな愛に溢れた親子。
それなのに、それなのに
彼女の母は彼女の命まで引きずっていってしまったように思えた。

彼女の核は母でできていた。
彼女が頑張るのは全て母のためだった。

愛からの呪縛、それが生んだ悲劇の典型例なのだと思う。



強い絆で結ばれた老夫婦で、片方が亡くなって後を追うように亡くなる、
という話も同じで、愛であり絆であり呪縛なんだと思う。

けど一生を共にする夫婦と、親子は違う。
悲しいけど、親は子より長生きできない。

夫婦はお互いに全てを注いでもいいけど、
子は親に全てを注いではいけない。

だから、親子における絆では、夫婦と違ってラインが必要なのかもしれない。


そういう割り切った考えは、一見冷たく聞こえるかもしれないけど
「母は母、自分は自分。」
「私は私であって、私の人生は私のためにあるのだ。」
っていうラインを持つこと、そういう自己肯定がとても大切で
それを持っていないことは
ある意味とても危険なのだと思う。
不安定なんだと思う。



そう考えたら、
親への反抗(反抗期)というのは、自分の命を守るためにあるのかもしれない。
絆っていう呪縛に引きずられて自分を失い、命を落とさないため。
自然の摂理で子は親より長生きするものだから。

反抗期っていうのは幼い自立。
それは大切なライン引きに繋がっていく自立なのかも。

そして反抗期は、信頼を獲得した証拠でもあると思う。

「これだけ負の感情を表に出しても、縁を切られたり見捨てられることはない」
っていう信頼とか、絆の認識があるから起こるものだと思う。

「嫌われるかもしれない、一人にされるかもしれない」
って言う安心のおけない関係なら、相手に反抗はできない。
友達関係でもそう。信頼してる親友となら、喧嘩ができる。


親子ってこうやって
恋人とも夫婦とも違う、絶妙なバランスで
呪縛にならない絆を作る仕組みになってるのかなと思う。


けどそれがどこか家庭内の状況とか
特殊な親子関係によって抑制されたり
うまく働かなくて、呪縛にもなり得る絆になることがあるんだよね。


だったら

「私のやっていることは私の意志。私がやりたいことだから頑張る。」

そういう風に生きて、そういう風に輝くのって
一番の親への恩返しなんじゃないかなって思う。


真央ちゃんは強い子だから
「母のため」という言葉を発しながらも
ちゃんと「私がやりたいこと」って意思も持ちながら
スケートをやっていると思う、だから自分を見失わないで
きっと頑張れる。そう信じる。




私は大学で学ぶ道を変えて、自分が学びたいこと学んで、
学ぶことに意義を感じて、好きなものに触れて
そうやって生きてる。
これから自分で職を見つける。

こんなに遅くなったけど、ここ一年くらいで本格的に
私は私の人生だって感じはじめている。


「母のため、母のため」
ってもがくのはとても苦しかったのだな、と今になって思う。

けど「大好き」に隠れて見えなかった母親に対するコンプレックスという存在を
認めることができた時、それがスッと楽になった気がした。


自分がマザコンとか言葉で書くのは
今が初めてで、自分でもなんかビックリしているけど、
ここ一年くらいの実感でも、今ここに書いてる瞬間でも
「マザーコンプレックス」の「コンプレックス」、
つまり複雑な感情というのは、かなり解けてきていると思う。


人間形成・発達・心理の方面に来て、まだまだ浅いけど色々学んで考えて
自分に向き合う考え方もできるようになったのは
本当に大きかった。
この道に来て本当によかった。


母は大好きだし、母も私が大好きだ。
言い合わなくても分かる。
いつも全身に愛を感じる。
なんでか知らないけど。

母も、父も、私がどんな道を選んでも見方でいてくれるのだろうし
惜しみない愛をくれるって確信があるから、
それを改めて自分の中で確認したから、


私は私で大丈夫なんだ。
自分のために生きても大丈夫なんだ。


頑張る。
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